只今当館は修繕工事中につき閉館中で御座います。残念ながら、工事終了の目途が立たない為、開館予定のお知らせが出来ません。ご了承の程宜しくお願い致します。
この那須温泉「昔語り館」は、那須町商工会及び同会那須高原支部の支援により、また、多くの地元住民の皆様のご協力によりオープンすることができました。
1380年の歴史があり、栃木県では一番古い那須温泉。そして江戸時代には諸国温泉功能鑑の番付にもある様に、東日本では常に草津に次ぐ温泉地として全国に知れ渡っておりました。ここに展示されている昔の写真をご覧いただくと、その当時の活況ぶりが伺い知れます。
しかし、ここ30数年に渡り当時の活況が減退し、空屋や空店舗が増えてしまい昔の面影を失ってしまいました。この小さな施設ができたことで、突然お客様が増える訳ではありませんが、地域の今後の活性化に繋がる起爆剤となることを願い、準備してまいりました。
Twitter:@New9tailfox
オープンにあたり、数多くの写真収集家の方々より快く写真をご提供いただきました。また、ご支援いただきました多くの地元企業や住民の皆様へ感謝申し上げます。
なお、この小さな「昔語り館」は無料、無人の施設で温泉街の散策の休憩所としての役割も担っております。どうぞ、ご利用にあたってはマナーをお守りいただき、多くの方にご覧になっていただきたいと思います。
民宿街の石畳通りには、小さな見どころが沢山あります。是非散策をしながら、昔の面影を偲んでみて下さい。
最後にこの「昔語り館」に展示されている、にぎやかな温泉街に少しでも近づくことができます様、今後とも皆様方のご協力及びご支援をお願い申し上げます。
那須温泉の発見は古く舒明2年(630年)とされます。
茗荷沢(みょうがざわ)に住む狩野三郎行広(かりのさぶろうゆきひろ)が湯に浸かって傷を癒している鹿を発見したのが始まりでした。それは、日本三古湯(有馬・白浜・道後)の発見から、わずか40年後の事であり、大変古い歴史です。
天平10年(738年)には、正倉院(しょうそういん)文書「駿河国正税帳(するがこくせいぜいちょう)」に「那須の湯に行く」との記述があり、すでに全国に知れ渡っていた温泉となっていました。
また、源平合戦の折、那須与一が「那須のゆぜん大明神」と祈願したのが那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)であります。その後、鎌倉時代に入ると源頼朝により那須野巻狩り(なすのまきがり)が行われ、文永2年(1265年)には日蓮上人(にちれんしょうにん)が病気養療の為に入湯し、喰初寺に経題石を残しました。
江戸時代になると温泉街は湯川(現在の民宿街)の両岸に6つの風呂場(行人の湯・鹿の湯・中の湯・御所の湯・河原の湯・新湯)とこれを結ぶ6つの橋を作って、その湯の特徴を比べて多くの人が訪れました。
元禄2年(1689年)には、松尾芭蕉が高久から湯本を訪れ、五左衛門宅(ござえもんたく)に滞在しました。
殺生石(せっしょうせき)にて「石の香や夏草あかく露あつし」、また、温泉神社にて「湯を結ぶ誓いも同じ石清水」の句を詠んでおり、句碑を見ることができます。
さらに「諸国温泉功能鑑(しょこくおんせんこうのうかん)」による番付では、東の国で草津の湯に次いで常に那須の湯が表示されている程、功能がある温泉として全国からの湯治客で賑わっていました。
その後は、安政の山津波や大火災があり、温泉街は今の本町通りに移転。明治、大正には道路の中央に共同浴場が5棟でき、再び活況を呈しました。
この様な開湯から1380年以上の歴史のある那須温泉、どうぞ、昔の賑やかさに思いを馳せながら、現在の街を歩いてみて下さい。そこかしこに、当時の面影が偲ばれることと思います。
■那須塩原駅 または 黒磯駅より路線バス
(那須ロープウェイ行き または 那須湯本行き)
「湯本2丁目」下車 → 徒歩 約3分